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  • 軍事問題研究会編集

ニュース短信:元防衛審議官が、専守防衛の見直しと敵基地攻撃能力に対する慎重論を発表

 真部 朗 元防衛審議官が、専守防衛の見直しと敵基地攻撃能力に対する慎重論を発表(ここをクリックすると論文にアクセス)している。

 以下は、論文から特に注目すべきセンテンス4つを抜粋した。


○ 第二に、専守防衛は、国際法の観点から見て必ずしも特殊な原則ではない。国際法上、武力の行使は、自衛権行使の場合等を除き、一般的に禁止されているが、(個別的)自衛権の行使の三要件は、我が国に対する急迫不正の侵害があること、これを排除するために他の適当な手段が無いこと、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことであり、専守防衛は、これに我が国が保持し得る防衛力に対する制約を加えたものと考えられる。国際法上はICBM等の保有自体が違法とはされておらず、その限りでは専守防衛の方がより厳格とは言えようが、その点を除けば、専守防衛の内容は、自衛権行使の要件と基本的に同一と見ることができる。


○ なお、ロシアによるウクライナ侵攻によって従来の国際法秩序が危殆に瀕していることを見直しの根拠とする議論も一部にあるようだが、むしろ、そのような時こそ従来の国際法秩序遵守の姿勢を鮮明にし、それを擁護していくべきであって、国際法に準拠している専守防衛の見直しは、このタイミングでこそあってはならないと言うべきであろう。


○ 「反撃力」の論者は、我が国が広範な対ミサイル抑止・対処力を持てば、拡大抑止と合わせて抑止がより強固になると考えているのかもしれないが、問題はそれほど単純ではない。拡大抑止は、単に米国の宣言によって成立しているわけではなく、その裏付けとなる米軍の態勢があって初めて成立する。我が国がミサイル攻撃に対する抑止力を独自に持つのであれば、我が国に対するミサイル攻撃に係る米国の拡大抑止の必要性は低下し、それに伴って米軍の態勢は、ほとんど必然的に拡大抑止を低下させる方向で変更されることになろう。米国は日米同盟において慈善活動行っているわけではなく、1+1=2のような単純な等式は抑止には当てはまらない。仮に、宣言政策としての拡大抑止は維持されるとしても、それは形骸化した抑止であり、もはや以前のそれではないと言うべきである。


○ 本稿では、我が国が敵基地攻撃能力を保有する場合に検討すべき諸課題について考察してみたが、率直に言えば、かかる能力を整備・保有しないで済むのであればその方が望ましい。確かに、少なからぬ国々は既にこれに相当する能力を保有しているわけであり、我が国も「普通の国」になるだけだという割り切り方もあろう。しかしながら、予想される防衛関係費の著しい増大もさることながら、我が国は日米安保体制の下で戦後80年近く「盾」の役割に徹してきたわけであり、そのような国が初めて持つ「矛」を果たして賢明に運用できるのかという懸念を払拭することは難しい。もちろん「盾」も実際に運用したことはなく、その意味では五十歩百歩かもしれないが、「矛」と組み合わせて運用するとなれば、その難しさが倍加することは明らかであろう。

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